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案外そうかもね

そうだったりそうじゃなかったり

おっさんが若者に絡んでる図にむしゃくしゃした話

blogos.com

 

結局この記事は何がいいたかったのか。

 

彼に倣って三行でまとめると、

・椎木さんは感覚が古い

・なぜならエビデンスもロジックもない根拠なき断定をしているから

・そんな椎木さん含め、それが若者像の縮図であり、そんな日本が「やばい」

との展開だ。

 

彼の文章において、彼が言うところの「エビデンス」は

・外国人の日本への訪問数

・世界でもっとも美しい顔コンテスト

といったところだろうか。必ずしも数字があるものをエビデンスとする

わけではないけど。

 

それ以外は彼による主観であり、彼独自のロジックで

「断定的か」で言えばところどころ「である」としたり「べきだ」としたり

事実(かの様な言い方)だったり意見の主張であったりしながらも

印象としては断定的な表現が多い様に見受けられる。エビデンスもなく。

 

これは、彼の論調によるところの「おっさん」にあたり、

自身の「自分はおっさんです」という表明のための文章なのだろうか。

 

あるいは注目を浴びたいがために「椎木」という燃えやすい素材を使って

「おっさん若者」と、釣りにもならない釣りタイトルで燃やそうとしている

だけなのだろうか。

 

彼の主観による「若者とは」「おっさんとは」の定義があいまい

かつ入り乱れているのでそもそも文章として読みづらい。

 

椎木さんの文章自体に関していうと、

色々突っ込みたい点があるのはわかるが、

少なくとも彼女の書いた文章で心と体が動く人もいる一方、

藤本氏の批評家然とした文章でシュリンクする人もいる、のではないかと

個人的には予想しており、どちらが「世の中のため」になっているのだろうか。

 

今回における「文章の価値」の定義として、

誰かの生産的な行動の動機付けになる、という事とすると

藤本氏の文章はほんと自らが言う「ヤバイ状態」なのではないか。

 

※ここから乱暴な表現になります

顔と学歴があって家も金持ちでチヤホヤされてる若い女に

いい年こいたおっさんがネット上でしょうもない批評をする

まじこういう学者ほんとクソだな、と思いました。

 

ちなみに個人的には椎木さん、良い悪いはもちろんなく、

好きか嫌いかで言えば「嫌い」の方にやや振ってるという点で

決して彼女を擁護したいわけではなく、ただ今回の展開に

なぜか腹が立った、という事でしかありません。

 

ではまた

 

 

 

 

 

 

あいつまじで仕事してんのかよって話

視野の広さは情報量に比例しまくる。

極端な例えをすると、「あの人は全然仕事してない」みたいな不満があったとして
けど実はすごく仕事をしていて結果を出してるけど、
部署間の隔たりがあるからそれを知らなくて、
パッと見で感情的に判断して、ネガティブな感情が生まれる。

これは左右の関係性でのケースだけど、
上下だともっと顕著だ。

やっぱ経営的観点で見た時と、現場観点で見た時
考え方とか選択肢が違いすぎる。

それぞれ役割があるし、そうなって然るべきだ。

そこで不満を持ち、上司に言ってくるならいいけど、
言ってこないで自分の小さな世界で判断するのってもったいない。

とは言え!

最近はこの「役割」を思う。

向き不向き、好きな事嫌いな事、が人にはあって
好きで向いてる事をするのが一番のハッピーだとして
嫌いだけど向いてる、のは本人が辛い
不向きだけど好き、は本人も会社も辛い。

んで、考えるって事が好きな人とか向いてる人
それに応じた仕事とかってあるよね。

だから、いっそ「手」と「頭」で役割を割りきった方がいいよなと。

「考えない」という状態は、
考えないからこそに、考えないという状態に気付き辛い。

でも考える作業って、「慣れ」が重要だし、
日本の教育って自律とか自分の意見の重要性をあんま説いてないから
意識していかないと身につき辛い。

あんまり考えてない自分に気付き、
でももっと考えた方が、自分のハッピーが手に入りやすいから
もっと考えたい。

そして論理的に生産性を高めて考えたいって人は
どんどん考えていけばいい。

そうじゃない人でも、それでハッピーなのであれば別に考える必要なぞない。

が、思うのだ。

ある程度の成果を出す上で、ある程度の努力が必要で、
けどただ努力をするのではなく、努力が再体現成果に繋がる様に
努力の仕方を最適化した方が、効率がいい。

その最適化をする時には「考える」が必要で、
みんなが欲しいハッピーというのは、考えた方が
手に入る可能性が高く、早く手に入りやすいのではないかと思う。

大変長くなりましたが、何が言いたい記事だったかと
この様にして持論を展開している訳だけど、
今までのインプットと思考量の結果でしかなく、
まだまだきっとわからない事とか、見えない視界がいっぱいあって
でもアウトプットしていかない事には視野も広がらないからこんな感じで書いてて、
これからも考え続けていきたいと思う次第です。

病気にならない程度に。

本質を考えようとする事のメリットとデメリット

本質とはなにか。

いろんな物事や事象の、真の目的とか意味とかかな。

あるいはそれ自体を成立・構成させうる核的なもの。

(目的や意味が"無い”、という事自体もそれに含む)

 

「真」ってのがクセモノだ。

「真」なんて付くものには大概が人の数だけ存在しそうで、
ありそうで無いんじゃないかと思う。

 

多分厳密に定義するとすれば、「真」て一つしか存在しないもんだよね。

 

それはさておき、良くも悪くも、昔よりは本質を考える様になってきているんだけど、それがもたらす事のメリットとデメリットをまとめたいと思う。
理由は特になく、頭の整理として。

 


▼メリット1「コミュニケーション能力がUPする」

ただしこの場合のコミュニケーション能力とは、
「相手の語彙力や表現力(論理性含む)を補いながら
 相手自身も気付いていない事を掘り起こしたり(時間短縮と気付き)、
 自分が相手にどう伝えれば深く早く伝わるか」の最適化力と定義する。

 

これにより、仕事をする上での課題解決がしやすくなる。

クライアントは、ユーザーは、担当営業は何を求めているか。
だからこそこうしよう、と。

たまに、とはいえ時代が、あるいは他の環境要因でこうなりそうだから、
こうした方がいいのではないか、と提案する事も可能だ。

とてもシンプルに。

 

プライベートにおいては、自分の考えがまとまり辛い人の悩みを
シンプルに組み立てる事ができてすっきりさせてあげられたり。

 

自分が思っている自分と、実はそうではない自分に差があるといった状態を
踏まえて相手と接する事ができ(言動の不一致の把握)、どこに課題があるか
そもそもそれが課題になりうるのか、等を考えながら相手と接する事ができるため
長い目で見る事ができるので、本人に気付きがある。(何度も言うが良い悪いかは別として)

 


▼メリット2「改善方法がシンプルになる」

何か問題が生じたり、良い方向に変えていきたい仕事とか悩みがあったとして、
どうすれば解決できるのか、という課題がある。

 

それに対しての解決策として、こうした方がいいかなと考えたりする時、
表面を潰していくと汎用性が培われず、
つどつど対処していかないといけないから、効率が悪い。

 

そんな時に、ここさえどうかすれば、以降はある程度応用でどうにかなるよ☆
てなもんで、数学で言うところろの公式が自分の中に出来上がり、すぐに問題が解けるし、幅が広がる。

 


▼デメリット1「話がかみ合わないシーンが生まれる(逆にディスコミュニケーション)」

例えば「これってなんだっけ?」という質問をもらったとして、
「なんでこの人はこれを聞いてきているんだろう」
「ああ、そういう目的のための質問ね、ならばこう答えた方がいいな」という考えが頭に巡る。

しかしながら、その過程をすっとばしてファイナルアンサーをアウトプットしてしまうため相手が一瞬「はて」となる。

 

人によっては自身がした質問意図を意識して、すぐさま脳内補正してくれるから着地できるんだけど、そうじゃない人も中にはいて「いえ、これが聞きたいんです」みたいな感じになる。

 

しかも、意図をこちらが察するけど、意図の汲み取り間違いだってある。

解決策として「それってこういう意図の質問かな?」って一旦返すのは
まあまあ回りくどい。

結果、話が長引く。それはこっちもダルい。


▼デメリット2「考えすぎるマンになる」

これも人によっては、なんだけど、考えすぎる人、一旦一つの事を考えるとそればっかりになっちゃう人にとってはずっとその問題について考えてしまうはめになる。

他の事が手につかなくなる程に。

ポジティブな事ならばいいのだが、そうでない時にこれになると、とても疲れる。


▼デメリット3「先入観によるレッテル」

いくつかの“自分の中での本質”ができてくると、クセが生まれる。

あ、このパターンはこれだ、のように。
それを意識する事もなく頭の回線がそうなるから
そういう目で見てしまうし、接してしまう事がある。

 

とまあこの様に、結局メリットデメリットと言いながらも、言っている事は同じで、ただ使いどころやその人の性質によっては良くも悪くも表裏一体という事だよね、と。

歳を重ねる事で生じる自信という名の独善化リスクを考えつつバランスをとらないと、なかなかにやっかいなものになりえるから自分も気をつけたいところだ。

 

 

岐路岐路しい

tenbin-girl.hatenablog.com

これは面白かった。ブログの先にある村上さんの内容も良かった。

 

村上春樹の小説はあんま好きじゃなかったんだけど、

作品と本人はやっぱり違うなーってのも思った。

 

過去に辛いことがあって、それが自身の人格に影響を及ぼしてんじゃないかと

ネガティブな気持ちを持ちつつあった自分にとっては、とても励まされる内容だ。

 

自分が進みたい道には必要な才能があって、努力である程度どうにかなる事と

そうじゃない事があって。

 

世の中トレードオフだなんて事はこれまでも散々思ってきた事ではあったけど、

自分には既に差し出したものがあるなーって。

 

幸いこれから経験するんじゃなくて、過去に起きた事だ。

とはいえ重い事だから、これからも「生きづらさ」を差し出さなきゃいけない

んだろうけどね。

 

でももう腹を括ろうかと思う!

うだうだ言っててもしょうがないから、もうやるしかない。

 

うだうだ言って逃げてる事で得られる甘美を捨てて

新しいものを得ようと思う。それを決めるのも自分だ。

 

人生の岐路に直面してる今だからこそ、カラーバス効果よろしく

良い記事に出会ったきがする。

 

捨てて捨てて捨てまくってやんぜーーー!

ネイティブADについて中の人が考えてみる2

時間を空けてしまったけど、途中で放り出すのも

気持ち悪いので、続きを書いてみる。

 

前回はネイティブADはPR会社の成果(露出量)水増しニーズという

締め方をしてきた気がする。

 

そもそもどういう着地をしようと思っていたのか忘れている。

件名も「ネイティブADについて考える」だから、

「どうあるべきか」「今後どうなるか」とか

どうにでも着地できるのだが、解決策は見つかっていない。

まだまだ迷走中だ。

 

でもなるべく考えていきたい。

 

ネイティブADの目的って、広告商品の認知度向上だったり、

販促だったりPRだよね。これは本来の広告の役割の通りだ。

 

けど広告って見られない前提だから、なるべく見られたい

広告主とメディア側は、コンテンツっぽい形で広告を配信する。

 

すごく騙してる。もちろん、プレスリリースを起こしたりもするから、

単純に注目が集まる商品やサービスはコンテンツとしても成立する。

 

けど、さほど特長がない商品やサービスは、メディア側もまるで

取り上げないから、広告という形になる。

 

そういう広告(PR会社)に限って、コンテンツとは相反する

商品の魅力をぐいぐい押したがる。結果、面白くなくなったり、

広告ってバレたりする。

 

つくってるこちらとしては、ある程度迎合もしなければならないし、

とっとと終わらせたいから、簡単に魂を売ってweb界に漂流物を放流してしまうのだ。

 

最近の勝ちパターンといえば、

ハンバーグバーグや、LIG、ライブドアニュースあたりだろうか。

それも一時期の勢いはないかもしれないけど。

 

これは広告ですって、前提があっての適度な「ふざけ」。

ユーザーに対して価値を提供するという媒体側の責任と、

広告主の商品を魅力的に扱う、という双方のメリットが成立している。

 

日本の広告主は保守的だから、それもなかなか理解され辛い事を考えると、

表現はもちろんだが、それを通すというところの凄さを感じる。

 

ブランディングとバズの実績が成せる業だよね。

そこまでもっていったのもすごい。

 

そういうコンテンツの作り方は、

これからもまだまだ伸びそうな気もする。

 

編集が作ったコンテンツを企業側がオウンドメディアで

二次利用するケースも増えてるしね。

 

東洋経済とか勢いのあるメディアも、やっぱ質はある程度担保されてるし。

 

やっぱ雑誌えあぶれた人をwebに連れてきて、

マネタイズとコンテンツの両軸ってのが硬い線かなー。

 

と、ネイティブADからメディア運営の話にシフトしてきたけど、

性格的にユーザーを騙すとかをなるべくしたくなくて

じゃあやっぱりコンテンツ作成力あげるしかなくて、

それには遠回りはないよね。

 

と、締めくくっておきます。

 

ネイティブADについて中の人が考えてみる1

はじめまして、はじめました。

早速の本題。ネイティブADという最近一部で議論されている問題について

実際にネイティブADを作ったり売ったりしている立場の者から、

身バレしても怒られない範囲で意見を述べたいと思います。

厳密には自身の思考整理なので、主張したいわけではないのですけども。

なんでこうも議論がなされているかというと、
広告の出稿量で無視できないレベルにまで成長したweb広告で
だからこそ、どんどん新規で参入してくるプレイヤーがいて、
中には中々にやんちゃな事をする方もいる業界。

ユーザーあってのwebサービスとすると、
ユーザー保護という観点でやっぱ騙すのはだめだよね、と。

そうなるとどんどんweb広告の信頼度が落ちて、結果自分たちの首を絞めてしまうぞ。
それはいかんとなって、web広告の色々を取り仕切るJIAAさんという、広告会社やらメディアやら広告主やらが加盟する団体さんが舵を取って色々と制度を整えている感じでしょうか。

いつの時代も無法者がやんちゃするからこそにルールができるもんですよね。
個人的には大好きなんですけど。

でもさ、そもそも論として、雑誌のタイアップだって昔からあるわけだし、

テレビなんてもっと悪質じゃん。深夜のランキング番組だって、

日経が提供してるプライムタイムのニュース番組だって

オフィシャルじゃないにしても広告として売られてるんだからさ。

こうもwebばっか締め付け厳しくしなくても!とは思います。
社会的影響度が高いのも旧4マスの皆さんなんだし。

という愚痴は置いておこう。

 

昨今で言われているネイティブADって、主にwebメディアが売ってるもので、

記事広告とかタイアップ広告とかを、さもそのメディアのコンテンツに合わせた

形でコミュニケーションを取っているよね。

そして問題になっているのはどちらかというと記事広告の方。

 

んで買ってるのはPR会社が多くて、たまに代理店さんてとこかな。

記事広告の単価って、安くて10万とかで高くても100万いかないとかだから、

代理店さんとしてはうまみがないからどうしてもPR会社さんが買う。

 

なんでPR会社さんが買うかというと、PR会社さんのフィーって、

企業が月々いくらかをPR会社に支払って、どんくらい露出されたか

を成果としてる感じ。

 

なので、webに限らず、とにかくいっぱい露出したいんだけど、

でも情報量が多すぎる世の中だし、そもそもそんなに注目を集める製品とか

サービスなんて無いから、お金を払ってでもメディアに取り上げてもらいたがる。

 

webメディアって、案外外の人は知らないみたいなんだけど、

外部配信って概念があって、自分のとこのコンテンツ(記事)を

他のメディアさんに配信してたりするんだよね。RSSで。

お互いに配信し合うみたいな。

 

それでお互いトラフィック増やしていこうよ、って感じなんだけどさ

ポータル全盛の時に生まれたんだよね。それがいかに自動で沢山の情報量を

集めた上で、編集部が取捨選択していけるか、ってな感じ。

 

要するに、一つのメディアに記事広告として出稿すると、

複数のメディアにも掲載されて、すごく沢山露出した感が出るんです。

 

だからPR会社さんからすると、成果上げたよーって企業に報告できるから

ニーズがある感じ。

 

企業側もそれで、おおってなってる事がまだまだ多い。

 

PRの世界は正直うらやましいとこもあって、

数値として判断されないorファジーな数字でごまかせますよね。

 

例えば、企業の最終ゴールって、売上げUPである事がほとんどなんだけど、

そのための手段として、認知度UPとかだったりする。

 

なので露出量=認知度UPって捉えると、まあまあ理屈としては筋が通ります。

がしかし、外部配信って実際にはほとんど見られてないケースが多い。

掲載された媒体数は多いけど、実際にどれだけトラフィックが来てるかで言うと

1,000PVもいってなかったり。

 

それって意味ほんとないよね。

 

けどさ、売れる。ほんとこれって、仕事のための仕事って感じで

正直萎えてしまう。

 

給料のためとか、社員のためとかって考えると、

もちろん価値はあって、年末の道路工事みたいな感じかな。

 

というところで、長いので一旦終了します。

近々続編を書く事にします。