本質を考えようとする事のメリットとデメリット
本質とはなにか。
いろんな物事や事象の、真の目的とか意味とかかな。
あるいはそれ自体を成立・構成させうる核的なもの。
(目的や意味が"無い”、という事自体もそれに含む)
「真」ってのがクセモノだ。
「真」なんて付くものには大概が人の数だけ存在しそうで、
ありそうで無いんじゃないかと思う。
多分厳密に定義するとすれば、「真」て一つしか存在しないもんだよね。
それはさておき、良くも悪くも、昔よりは本質を考える様になってきているんだけど、それがもたらす事のメリットとデメリットをまとめたいと思う。
理由は特になく、頭の整理として。
▼メリット1「コミュニケーション能力がUPする」
ただしこの場合のコミュニケーション能力とは、
「相手の語彙力や表現力(論理性含む)を補いながら
相手自身も気付いていない事を掘り起こしたり(時間短縮と気付き)、
自分が相手にどう伝えれば深く早く伝わるか」の最適化力と定義する。
これにより、仕事をする上での課題解決がしやすくなる。
クライアントは、ユーザーは、担当営業は何を求めているか。
だからこそこうしよう、と。
たまに、とはいえ時代が、あるいは他の環境要因でこうなりそうだから、
こうした方がいいのではないか、と提案する事も可能だ。
とてもシンプルに。
プライベートにおいては、自分の考えがまとまり辛い人の悩みを
シンプルに組み立てる事ができてすっきりさせてあげられたり。
自分が思っている自分と、実はそうではない自分に差があるといった状態を
踏まえて相手と接する事ができ(言動の不一致の把握)、どこに課題があるか
そもそもそれが課題になりうるのか、等を考えながら相手と接する事ができるため
長い目で見る事ができるので、本人に気付きがある。(何度も言うが良い悪いかは別として)
▼メリット2「改善方法がシンプルになる」
何か問題が生じたり、良い方向に変えていきたい仕事とか悩みがあったとして、
どうすれば解決できるのか、という課題がある。
それに対しての解決策として、こうした方がいいかなと考えたりする時、
表面を潰していくと汎用性が培われず、
つどつど対処していかないといけないから、効率が悪い。
そんな時に、ここさえどうかすれば、以降はある程度応用でどうにかなるよ☆
てなもんで、数学で言うところろの公式が自分の中に出来上がり、すぐに問題が解けるし、幅が広がる。
▼デメリット1「話がかみ合わないシーンが生まれる(逆にディスコミュニケーション)」
例えば「これってなんだっけ?」という質問をもらったとして、
「なんでこの人はこれを聞いてきているんだろう」
「ああ、そういう目的のための質問ね、ならばこう答えた方がいいな」という考えが頭に巡る。
しかしながら、その過程をすっとばしてファイナルアンサーをアウトプットしてしまうため相手が一瞬「はて」となる。
人によっては自身がした質問意図を意識して、すぐさま脳内補正してくれるから着地できるんだけど、そうじゃない人も中にはいて「いえ、これが聞きたいんです」みたいな感じになる。
しかも、意図をこちらが察するけど、意図の汲み取り間違いだってある。
解決策として「それってこういう意図の質問かな?」って一旦返すのは
まあまあ回りくどい。
結果、話が長引く。それはこっちもダルい。
▼デメリット2「考えすぎるマンになる」
これも人によっては、なんだけど、考えすぎる人、一旦一つの事を考えるとそればっかりになっちゃう人にとってはずっとその問題について考えてしまうはめになる。
他の事が手につかなくなる程に。
ポジティブな事ならばいいのだが、そうでない時にこれになると、とても疲れる。
▼デメリット3「先入観によるレッテル」
いくつかの“自分の中での本質”ができてくると、クセが生まれる。
あ、このパターンはこれだ、のように。
それを意識する事もなく頭の回線がそうなるから
そういう目で見てしまうし、接してしまう事がある。
とまあこの様に、結局メリットデメリットと言いながらも、言っている事は同じで、ただ使いどころやその人の性質によっては良くも悪くも表裏一体という事だよね、と。
歳を重ねる事で生じる自信という名の独善化リスクを考えつつバランスをとらないと、なかなかにやっかいなものになりえるから自分も気をつけたいところだ。