案外そうかもね

そうだったりそうじゃなかったり

あいつまじで仕事してんのかよって話

視野の広さは情報量に比例しまくる。

極端な例えをすると、「あの人は全然仕事してない」みたいな不満があったとして
けど実はすごく仕事をしていて結果を出してるけど、
部署間の隔たりがあるからそれを知らなくて、
パッと見で感情的に判断して、ネガティブな感情が生まれる。

これは左右の関係性でのケースだけど、
上下だともっと顕著だ。

やっぱ経営的観点で見た時と、現場観点で見た時
考え方とか選択肢が違いすぎる。

それぞれ役割があるし、そうなって然るべきだ。

そこで不満を持ち、上司に言ってくるならいいけど、
言ってこないで自分の小さな世界で判断するのってもったいない。

とは言え!

最近はこの「役割」を思う。

向き不向き、好きな事嫌いな事、が人にはあって
好きで向いてる事をするのが一番のハッピーだとして
嫌いだけど向いてる、のは本人が辛い
不向きだけど好き、は本人も会社も辛い。

んで、考えるって事が好きな人とか向いてる人
それに応じた仕事とかってあるよね。

だから、いっそ「手」と「頭」で役割を割りきった方がいいよなと。

「考えない」という状態は、
考えないからこそに、考えないという状態に気付き辛い。

でも考える作業って、「慣れ」が重要だし、
日本の教育って自律とか自分の意見の重要性をあんま説いてないから
意識していかないと身につき辛い。

あんまり考えてない自分に気付き、
でももっと考えた方が、自分のハッピーが手に入りやすいから
もっと考えたい。

そして論理的に生産性を高めて考えたいって人は
どんどん考えていけばいい。

そうじゃない人でも、それでハッピーなのであれば別に考える必要なぞない。

が、思うのだ。

ある程度の成果を出す上で、ある程度の努力が必要で、
けどただ努力をするのではなく、努力が再体現成果に繋がる様に
努力の仕方を最適化した方が、効率がいい。

その最適化をする時には「考える」が必要で、
みんなが欲しいハッピーというのは、考えた方が
手に入る可能性が高く、早く手に入りやすいのではないかと思う。

大変長くなりましたが、何が言いたい記事だったかと
この様にして持論を展開している訳だけど、
今までのインプットと思考量の結果でしかなく、
まだまだきっとわからない事とか、見えない視界がいっぱいあって
でもアウトプットしていかない事には視野も広がらないからこんな感じで書いてて、
これからも考え続けていきたいと思う次第です。

病気にならない程度に。